ぐり茶の始まりは、海外への輸出から。
いま、伊豆の名物として親しまれるぐり茶。
その背景には、海の向こうの好みに応えたお茶づくりがあります。
幕末の開港から明治時代にかけて、日本茶の輸出が広がりました。やがて海外市場での競争が厳しくなると、新しい販路と、現地の飲み方に合うお茶が求められるようになります。
大正末期から昭和初期にかけて注目されたのが、旧ソ連や中央アジアの市場です。そこで親しまれていた中国産の釜炒り緑茶に外観を近づけながら、日本の蒸し製法を生かしたお茶が開発されました。
煎茶のように精揉で細くまっすぐに整えず、再乾で乾燥させる製法が使われました。これが、ぐり茶へつながるお茶です。
輸出茶から、日本の家庭で飲まれるお茶へ。
- 大正末期〜昭和初期
海外の市場に向けて
蒸し製玉緑茶は、輸出先の好みを意識した緑茶として生まれます。
- 戦後・1950年代
北アフリカや中東へ
戦後に輸出が再開され、モロッコなどへも届けられました。海外の飲み方や嗜好に合わせた仕上げが行われていました。
- 1960年代頃から
日本国内へ、広がる飲み手
輸出が縮小する一方で、国内の日本茶需要が高まります。海外向けにつくられてきたお茶を、日本の家庭へ届ける動きが始まりました。
蒸し製玉緑茶は、飲まれる場所が変わるなかで、新しい役割を持つようになります。その受け皿のひとつが、温泉観光地として発展していた伊豆・伊東でした。
嬉野と伊豆。それぞれに根付いた、お茶の文化。
同じ玉緑茶でも、地域に根付いた道のりはひとつではありません。
茶づくりの歴史から
嬉野には、長い茶栽培の歴史と釜炒り製法の伝統があります。江戸時代には吉村新兵衛が茶園を広げ、地域のお茶づくりの発展に力を注ぎました。
その後、蒸し製玉緑茶も広がり、釜炒りの伝統と蒸し製法の両方が受け継がれています。
旅先で出会うお茶から
伊豆では、輸出向けにつくられてきた蒸し製玉緑茶が、観光客に向けて販売されるようになりました。
温泉旅行のお土産として持ち帰られ、「ぐり茶」という名前とともに親しまれていきます。
覚えやすく、親しみやすい「ぐり茶」。
伊豆では、茶葉の曲がった姿を「ぐりっ」と表現したことが、ぐり茶という呼び名の由来と伝えられています。蒸し製玉緑茶を、身近に感じてもらうための名前でした。
ここで紹介しているのは呼び名の由来です。現在の杉山のぐり茶は深蒸し製法のため、茶葉は一律に丸い形ではなく、よじれや細かな葉が見られます。
昭和35年、伊東で始まった杉山の歩み。
静岡県伊東市で、杉山製茶工場を創業。
杉山は、一般的な煎茶とは仕上げ方の異なる蒸し製玉緑茶に着目し、伊豆で「ぐり茶」を販売してきました。
旅の思い出として持ち帰られるお茶から、ご家庭で繰り返し飲んでいただくお茶へ。伊豆を訪れる方にも、通信販売をご利用の方にも、親しんでいただける味を大切にしています。
そのなかで杉山が選んだのは、ご家庭でも味と緑の水色を出しやすい、深蒸し製法のぐり茶でした。