商品検索 マイページ カート

トップページ | ぐり茶・店舗について | ぐり茶の歴史|輸出茶から嬉野・伊豆で親しまれる日本茶へ

ぐり茶を知る物語 02 / 03

ぐり茶の歴史

海を渡ったお茶が、伊豆の一杯に。

ぐり茶の始まりには、海外への輸出がありました。
時代とともに飲まれる場所を変え、
伊豆で親しまれる日本茶になるまでをたどります。

続きを読む
新緑の茶畑と茶摘みの風景
海を渡り、伊豆の一杯へ。
01 / OVERSEAS

ぐり茶の始まりは、海外への輸出から。

いま、伊豆の名物として親しまれるぐり茶。
その背景には、海の向こうの好みに応えたお茶づくりがあります。

幕末の開港から明治時代にかけて、日本茶の輸出が広がりました。やがて海外市場での競争が厳しくなると、新しい販路と、現地の飲み方に合うお茶が求められるようになります。

大正末期から昭和初期にかけて注目されたのが、旧ソ連や中央アジアの市場です。そこで親しまれていた中国産の釜炒り緑茶に外観を近づけながら、日本の蒸し製法を生かしたお茶が開発されました。

海外の嗜好に応えて生まれた、蒸し製玉緑茶。

煎茶のように精揉で細くまっすぐに整えず、再乾で乾燥させる製法が使われました。これが、ぐり茶へつながるお茶です。

02 / CHANGING TIMES

輸出茶から、日本の家庭で飲まれるお茶へ。

  1. 大正末期〜昭和初期

    海外の市場に向けて

    蒸し製玉緑茶は、輸出先の好みを意識した緑茶として生まれます。

  2. 戦後・1950年代

    北アフリカや中東へ

    戦後に輸出が再開され、モロッコなどへも届けられました。海外の飲み方や嗜好に合わせた仕上げが行われていました。

  3. 1960年代頃から

    日本国内へ、広がる飲み手

    輸出が縮小する一方で、国内の日本茶需要が高まります。海外向けにつくられてきたお茶を、日本の家庭へ届ける動きが始まりました。

蒸し製玉緑茶は、飲まれる場所が変わるなかで、新しい役割を持つようになります。その受け皿のひとつが、温泉観光地として発展していた伊豆・伊東でした。

03 / TWO REGIONS

嬉野と伊豆。それぞれに根付いた、お茶の文化。

同じ玉緑茶でも、地域に根付いた道のりはひとつではありません。

嬉野

茶づくりの歴史から

嬉野には、長い茶栽培の歴史と釜炒り製法の伝統があります。江戸時代には吉村新兵衛が茶園を広げ、地域のお茶づくりの発展に力を注ぎました。

その後、蒸し製玉緑茶も広がり、釜炒りの伝統と蒸し製法の両方が受け継がれています。

伊豆

旅先で出会うお茶から

伊豆では、輸出向けにつくられてきた蒸し製玉緑茶が、観光客に向けて販売されるようになりました。

温泉旅行のお土産として持ち帰られ、「ぐり茶」という名前とともに親しまれていきます。

覚えやすく、親しみやすい「ぐり茶」。

伊豆では、茶葉の曲がった姿を「ぐりっ」と表現したことが、ぐり茶という呼び名の由来と伝えられています。蒸し製玉緑茶を、身近に感じてもらうための名前でした。

ここで紹介しているのは呼び名の由来です。現在の杉山のぐり茶は深蒸し製法のため、茶葉は一律に丸い形ではなく、よじれや細かな葉が見られます。

04 / SINCE 1960

昭和35年、伊東で始まった杉山の歩み。

1960年 / 昭和35年

静岡県伊東市で、杉山製茶工場を創業。

杉山は、一般的な煎茶とは仕上げ方の異なる蒸し製玉緑茶に着目し、伊豆で「ぐり茶」を販売してきました。

旅の思い出として持ち帰られるお茶から、ご家庭で繰り返し飲んでいただくお茶へ。伊豆を訪れる方にも、通信販売をご利用の方にも、親しんでいただける味を大切にしています。

そのなかで杉山が選んだのは、ご家庭でも味と緑の水色を出しやすい、深蒸し製法のぐり茶でした。

NEXT / 第3章

では、杉山はどんな味を目指したのでしょう。

深蒸しを選ぶ理由、産地や品種の選び方、茶葉を組み合わせる合組。歴史の先にある、杉山の味づくりをご紹介します。

杉山のぐり茶の味へ
前の話:ぐり茶とは