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ぐり茶の起源、ロシアへ

ロシア(モスクワ)展示用のぐり茶

【ぐり茶の起源、ロシアへ】
来月9月に、ぐり茶の見本を持ってロシア(モスクワ)へ行ってきます。
日本茶輸出組合の事業としてですが、私自身初北欧!
いいカルチャーショックが楽しみですw

ちなみに、ぐり茶はキリル文字で「гуритя」と表記。
発音は…「ぐりちゃ」そのままで通用するみたいです。

当社のぐり茶(蒸し製玉緑茶)の起源は1930年頃。旧ソビエト連邦へ輸出するために開発されたお茶です。
このぐり茶は人気を博しましたが、第2次世界大戦の足音の高まりとともに、途絶えてしまいました。

時を超えて、21世紀の進化した「ぐり茶」の味がロシアで受け入れられるかチャレンジしてきます!

 

【ぐり茶】誕生の歴史

戦前には日本茶が大量に米国に輸出されていました。
明治後半から大正中ごろまで、なんと年間二万トン前後にのぼっていたのであります。
しかし第一次世界大戦前後から米国市場にインド・セイロン紅茶が安く入ってきたことや、日本茶には木茎が多いというような品質低下が重なって次第に評判が落ちてきました。
そんな時、緑茶にはビタミンCが大量に含まれているという研究結果が三浦政太郎によって発表されました。1924年(大正13年)のことである。
いざ、市場奪回へと茶業関係者は意気込んだけれど、米国政府が行った追認試験で疑問が出されて、すっかり意気消沈してしまった。これは実験に使用した素材に問題があったともいうが、やむをえない。そこであらたな市場開拓への模索が始まる。
ひとつは大戦中の1917年に成立したソヴィエト連邦(ソ連)である。長い間進歩的文化人の希望の星であったソ連が崩壊したのが1991年のことだから、今の大学生にはソ連といっても通用しないかもしれないが、ソ連は国民にとって必須の茶を輸入するために日本に接触してきた。

そのころの大陸における日本茶は中国茶に混ぜて利用されていたらしい。これはチャンスである。いっそのことソ連が好む中国茶タイプを日本でも生産したらどうか、ということでソ連側担当者のアドバイスを受けながら、まさにソ連の嗜好にあわせた製茶技術の開発が行われました。 その結果、釜炒りであった中国茶と外観がよく似ていて、しかも苦味がなどを減少させる為に、従来の茶よりも蒸し時間を長くし、釜炒り茶のように見える丸い形に仕上がるようにしました。
蒸製玉緑茶の誕生です。これが、見たところがグリグリしているというところから「ぐり茶」と呼ばれたのが始まり。
「ぐり茶」はソ連に受け入れられて、輸出量がどんどん伸びた。それに合わせて茶業組合中央会議所が名称を募集した結果「玉緑茶」という名前が誕生したのである。佳作には勾玉茶、丸茶、日之丸茶、富士茶、などがあったといいます。
昭和30年代の北アフリカ向け輸出の為に、中国のガンパウダーに対抗して、ヨンコン茶を静岡や三重で製造して静岡市内の輸出商社(ヘリヤさん、アウインさん、BA商会さんなど)が北アフリカ(モロッコ)へ輸出した。北アフリカ(モロッコ)は砂漠でビタミンCの補充が出来なかったので、短期的だったが日本茶が北アフリカ(モロッコ)に輸出されていたと聞いてます。
そして「ぐり茶」の輸出が縮小するにつれ昭和40年代頃に茶業界が国内で売り出そうとした時期あり、㈱伊藤園の前身、合資会社ビーエー商会から弊社に「ぐり茶」を紹介されたのがきっかけでした。

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